fake flavor【s】/story 01

「あっくん、さよならー!」

不意に
大きな声で手を振る
夏海に驚きながら、
視線を追いかける。

少し先の職員室に
入りかけていた澤餅先生が
こちらに顔を向けて、苦く笑う。

だけど
他の先生みたいな、
不愉快な感じではなく。
ちょっと困った、みたいな顔。

「井吹、
俺が教師だってこと忘れてるだろ」

「ていうか、認識すらしてない」

「なめられたもんだなぁ、
これでも結構おじさんなんだけど」

「これでもってことは、
自覚してるんだ?
自分は若くて爽やかだって」

「あんまりいじめないで」

澤餅先生は
引き戸にかけていた手を離して、
私たちを待ってくれる。

正確には
夏海を、なんだろうけど。

心の中の私は、
そこを強調したがっている。

私、たち。

夏海の隣を歩く私は、
ふたりのやりとりを
面白がっているように見えると思う。
傍目、には。

本当は、
今すぐにでも
この廊下を全速力で
駆け抜けたい気持ちだったけど。

もっと言えば。

反対側の角から現れた
先生の姿を見た瞬間から……
上手に、呼吸すら出来ない。

「負けないでよ、サワモチ先生」

からかうように見上げながら
立ち止まる夏海に合わせて、
私も足を止める。

クスクス笑いながらも、
先生を決して見ようとしない
私のわざとらしさを、
私以外知らない。

「戸田、笑ってないで助けて」

「残念ですけど、手に負えません」

「井吹の親友だろ?」

「触らぬ神に、祟りなしです」

「ちょっとモナミ、どういう意味?」

咎めるように、
だけどまったく
気分を害していない調子で、
夏海が大げさに私をのぞき込む。

チラリとだけ
先生に視線を送ると、
クルッと目を回してうなずく。

確かにその通りだ、
と言いたそうな笑顔を添えて。

その瞬間、
私は失敗したと
心で顔をしかめる。

そんな顔を見せられたら、
益々ここから
逃げ出したくなってしまう。

「おい井吹、戸田をいじめるな」

「前から思ってたけど
あっくん、モナには甘くない?」

「それは当然」

「どうしてよ」

夏海が問いかけた答えを、
私は知っている。

「戸田だけだから。
俺のこと、澤餅先生って
ちゃんと呼んでくれるの」

そう。

9ヶ月前の始業式、
新任教師として
この学校にやって来た、
餅先生は。

私たちと
10も離れていないことや、
親しみやすい雰囲気。

それから、
背の高さに反した
幼い声のおかげか、
全校生徒の間で
ひとつの認識が生まれた。

澤餅淳博先生のことは、
愛称で呼んでも大丈夫だろうと。

「うわぁ、ひいき」

「悔しかったら、
井吹も呼ぶことだな」

「いや、
別にあっくんに
特別扱いされてもねぇ」

特別扱いされたくて
呼んでいる訳じゃ……
最初は、なかった。

ただ単に、
一線を引くために
呼ばなかっただけ。

友達じゃないんだし、
そういう感覚で接してくる教師も
好きじゃなかった。

だけど、澤餅先生は……

ゆるく制しながら許す笑顔の奥に、
見えないラインを引いていた。

お猿さんみたいな顔をして、
コロコロ表情を変えるくせに。

自分のプライベートは
ほとんどと言っていいほど、
話そうとしない。

本心では、
ちやほやされたいと思ってる
一部の先生とは、違っていた。

それを感じた瞬間、
私は彼から
目を離せなくなってしまった。

そして
恋だと自覚するまで、
そんなに時間はかからなかった。

一線を引きたがっていた私が、
一線を越えたがってる。

だけど、
この気持ちは誰にも言わない。

隣で
教師をおもちゃにして、
楽しげに笑っている親友にさえ
打ち明けていない。

ドラマチックな恋物語に
仕立て上げられるのも嫌だし、
自分が溺れるのもわかってた。

私は17歳で、
人の言葉に揺らがないほどの
強さは持ち合わせていないから。

だから
絶対にこの人のことを、
『あっくん』とは呼ばない。

「ところで、何か用?」

「いや、井吹が呼び止めたから」

「え?
呼び止めてないよ。
帰りのあいさつしただけ」

「なんだよ」

「待っててくれる律儀さが好きよ?
あっくん」

「はいはい、さよなら」

優しくあしらう澤餅先生に、
私たちは
笑い合いながら声を重ねる。

「さよならー」

「寄り道するなよ?」

「しない訳ないでしょ」

「戸田はしないよな?」

「ごめんなさい、先生」

ショックを受けたように、
大げさに口を開ける澤餅先生。

この人の無邪気さは、とても厄介。

他の生徒たちには
好感度のシルシでも、
私にとっては毒だ。

細くて大きな手が
引き戸にかかったことをきっかけに、
夏海が歩き出す。

私も後に続いて、
澤餅先生の横を通り過ぎた瞬間……。

「あ、月曜の匂い」

「えっ?」

しまった。
そう思った時には、もう遅くて。

なんでもないと言って、
廊下の角を曲がった夏海を
追いかければ済むはずなのに。

首を傾げた先生の
不思議そうな表情から、
逃げられなかった。

「その匂い、
月曜日にすることが多いから」

「よくわかったな」

「好きですから」

私は17歳で、子供だから。
こういう言い方をして、
大人の反応をうかがう。

だけど先生は、私の言葉に
続きがないなんて思いもしない。

というような顔で、
不思議そうな表情を崩さなかった。

「……香り。
好きだなぁって、思ってたんです。
だから、気になって」

一瞬でも試そうとした
恥ずかしさを見抜かれないように、
平然なフリをする。

だけど先生は、
フリじゃない平然の微笑みで
自分のカーディガンの袖口を
鼻に寄せる。

ひとさじの、
くすぐったさを添えて。

「香水ですか?」

「たぶん、
ボディーソープじゃないかな?
俺香水つけないから」

たぶん。

そのニュアンスを聞かなくても、
とっくに気づいてた。

月曜日限定のその香りは、
日曜日の名残りであるということ。

「甘いのに
爽やかですよね、
なんの香りですか?」

「さぁ、なんだろ?
なんかのフルーツって
言ってた気がするけど」

「今度、彼女さんに
聞いておいてください」

「あぁ、わかった」

「否定しないんですね」

「ん?」

「彼女さん」

「しないよ?
だって、嘘つく必要ないし。
それに……」

澤餅先生は
イタズラ好きなお猿さんみたく、
ニッと口を横に広げて笑顔を作る。

「戸田はそういうこと、
やたらめった言って回らないだろ?」

「先生、
私のこと買いかぶり過ぎです。
明日には、みーんな知ってますよ?」

「うわ、怖っ!」

先生は。

本当に私のことを、何も知らない。

そのことに
深く傷ついて、
すごくホッとしてる。

澤餅先生の中で、
私は話しやすい生徒。

それで、いい。

「来週までに
その香りの正体を
突き止めてくれたら、考えます」

「すぐ聞く」

きっと先生は、今夜にでも
彼女さんに質問するだろう。

『なぁ、お前の家にある
ボディーソープって、なんの匂い?』

そしてすぐさま、
私に教えてくれるんだろう。

少し、誇らしげに。

そして
とても人懐っこい、
一線引いた笑顔で。

「よろしくお願いします、澤餅先生」

「かしこまりました、
戸田萌永実さん」

私はニコッとして、歩き出す。

本当は、
別になんの匂いかなんて
気にならなかった。

爽やかな柑橘系より、
甘いバニラのような香りのほうが
好きだから。

だけど私は、
そのボディーソープを
買ってしまうんだと思う。

毎日
顔を合わせているのに、
ものすごく遠い存在の
好きな人と……

たったひとつの、
共通点を持ちたいために。





fake flavor【s】



1st flavor

fruits dream

One,

東京の片隅に暮らしている、 シナリオライターです。 TwitterやInstagramでは 綴りきれない、思いや出来事を。 ラフに、のんびり。 そしてひとさじのぽっぷを加えて、 彩っていけたらと思っています。 よろしければ、こちらでも。 ゆっくりしていってください。 Twitter/Instagram account →popslow1985

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